原田君事と映画『八甲田山』 (1)

日露戦争を前にした1902年(明治35年)に起こった日本陸軍青森歩兵第五連隊の八甲田山雪中行軍遭難事件を題材にした映画で、足掛け3年の制作期間をかけて完成した大作です。

 映画『八甲田山』の企画は、1974年に公開された松竹と橋本プロの提携作品である映画『砂の器』と同時期に始動していました。    

『人間革命』『砂の器』『続・人間革命』と連続で橋本脚本の作品に主演していた縁で、丹波さんと橋本忍さんはつき合いがあり、三国連太郎さんが演じた青森第五連隊の山田少佐の役を当初は打診されていました。

冬の青森県八甲田山周辺をロケ-ション・ハンティングされていた橋本さんから情報を得ていた丹波さんは、その苛酷なまでに厳しい冬の寒さのことを耳にして「雪中行軍に参加する役はやりたくないな」と思ったんでしょう。

山田少佐の役を適当な理由をつけて断って、代わりに弘前三十一連隊長の児島大佐を演じることになりました。

丹波さんが青森のロケに参加したのは1日だけです。

青森市森林博物館(旧青森営林局庁舎)を使って映画の冒頭で描かれている弘前第四旅団本部での会議のシ-ンと旅団長以下の会議出席メンバ-が旅団本部から出てくるシ-ンを撮影しました。

会議が開かれた季節は秋の設定、雪は全くありません。

それ以外は砧の東宝スタジオでのセット撮影です。

君子危うきに近寄らず。

さすがに親分です。

私はもちろん丹波さんの抱き合わせ出演ですが、参加した青森ロケ-ションは厳冬期の1月で、撮影は1ヵ月に及びました。                                                                                         私が34歳のときです                                                                                                     結婚をして1年半、長男の「治」が生まれて3ヵ月になる1977年1月2日。                              女房殿と子供を東京に残して雪中行軍隊兵士に扮する若い役者たちと一緒に夜行列車で上野駅を出発し、翌朝8時に青森駅に到着しました。

駅の外へ出るとすごい雪です。

「なんじゃこれは!」