原田君事と映画『八甲田山』 (10)

1ヵ月に及んだ青森ロケが終了し、次の撮影は1ヵ月後の新潟ロケです。

新潟へ出発するまでの間、久しぶりに東京へ戻って家族と再会しました。

女房殿に青森でのロケ撮影の話しをしたところ、ロケ先から私が死を覚悟して電話したことがやはり気になっていたようで「ギャラを前金で貰っておきながら家に生活費も入れず、酔っ払ってあんな電話をしてきたのかと思ったら、本当に死ぬかもしれない状況だったなんて、子供も生まれたのに無責任過ぎる」と叱られました。

翌日、新宿で丹波プロの小林マネ-ジャ-に会って、酒を飲みながら映画『八甲田山』の青森ロケの報告をしました。

「八甲田はどうだった」と小林さんが訊くので「いやぁ、とにかく寒くって大変でしたよ」と、八甲田山中のロケ現場の大雪のことから始めて、ふんどし一丁の裸になって狂い死ぬ隊員を演ったときの話をしました。

私としては寒さに耐えて頑張ったわずかな出演カットにどれほどの価値があるとか、映画に対して何か貢献した、などとは全く思っていませんでしたが、小林さんには私の話に感じることがあったみたいで「原田君、君は凄いことをやったんだよ」と言ってくれました。

そして翌日、東宝の宣伝部へ行って映画『八甲田山』の青森ロケでの「ふんどし」のことを大きく扱ってもらえるよう売り込んだそうです。

現場からは、その情報はまだ入っていなくて小林さんのおかげで東宝宣伝部からマスコミに映画『八甲田山』制作進行中のニュ-スとして「ふんどし」のことが流されたんでしょう。 

 

未撮で残っていた台本のシ-ン59を撮影するため、青森歩兵第五連隊の若手の役者連中と一緒に新潟県新発田へ行き、宿泊先の月岡温泉の旅館に入りました。

自衛隊新発田駐屯地を青森第五連隊本部に見立てて、青森第五連隊雪中行軍隊の出発シ-ンを撮影するためです。 

 夜、私が月岡温泉の旅館の風呂へ行って湯船に浸かっていると、タオルで鉢巻をしてシェ-ビングクリ-ムをアゴ一杯につけた男が入って来ました。

そのとき風呂の中は二人だけで、私は大して気にすることもなくのんびり過していたんですが、何気なく男の横顔を見ると鼻筋の通ったいい男で、身長があって鍛えあげた身体をしているんです。

「こんな奴が役者になればきっと売れるのに」と漠然と思っていました。

やがて風呂に入ってきた青森第五連隊の役者たちが、その男に頭を下げて挨拶しています。

「あれっ、八甲田の関係者だったのか?」と思いながら、よく顔を覗いてみるとその男は高倉健さんでした。

このとき月岡温泉には青森第五連隊の連中と撮影スタッフしか泊まっていないと思っていたんで、まさか弘前歩兵第三十一連隊の徳島大尉役の高倉健さんが風呂に入ってくるとは夢にも思いませんでした。

もしかしたら同じ自衛隊新発田駐屯地を使用して、我々の出発シ-ンとは別に弘前三十一連隊のどこかのシ-ンを撮影していたのかもしれません。

「やっぱり高倉健っていう人は、風呂へ入っていても画になる男で、カッコいいんだなぁ」と感心しました。

同じ湯船に浸かってても気づかなかった私ですが、高倉健さんと一緒に風呂に入ったという話は、後年、私の自慢話になりました。