原田君事と映画『八甲田山』 (11)

シ-ン59 青森五連隊―営庭   (橋本忍先生の脚本より)

明治三十五年一月二十三日、午前六時五十五分。

白い雪に覆われた早朝の営庭に雪中行軍隊二百十名。

いや、すでに神田を先頭に、第一小隊の伊藤小隊、

第二小隊の中橋小隊が動き出している。

将校は黒の羅紗服に黒の外套、

下士官は紺の羅紗服にカ-キ色の羅紗外套、

兵卒は紺の木綿の小倉服だが、下士官と同じカ-キ色の羅紗外套で、

全員が軍靴の上に雪沓。

中略

最後尾は行李輸送隊の八台の橇で、一台には四人の輸送隊員。

中略

神田を先頭に、伊藤小隊が営門を出て行く。

   Ⅹ     Ⅹ

行進曲の喇叭はまで高らかに続いている。

行軍隊の三分の二はすでに営門の外で、続く隊列と最後尾の行李輸送隊が力強く出発して行く。

新潟県自衛隊新発田駐屯地でのその日の撮影が終了して月岡温泉の旅館へ帰ると、新聞の切抜きを貰いました。

誰からだったかは忘れましたが、見ると全国紙の毎日新聞の夕刊で、

撮影中の映画『八甲田山』の紹介記事があって私の写真入りだったんでびっくりしました。

2月12日 毎日新聞夕刊 土曜レポ-トコ-ナ-

【腰まで埋まる雪の中、錯乱のすえフンドシ一つで凍死。

文字どおり死を覚悟しての演技だった】

青森第五連隊の役者仲間に見せて、興奮しながら喜んだのを覚えています。

その後、撮影が終了して東京に帰ってからも新聞や雑誌の記事を見つけては手元に保管しておきました。

映画公開の6月までの間に、他にもいろんなマスコミ媒体で紹介されたようです。

 3月6日 公明新聞

【俳優残酷物語の決定版!! 

凍死寸前、裸で雪の中を駆け回る兵隊役の原田君事】

3月17日 東京スポ-ツ新聞

【零下十五度の中を裸で・・・中略 原田クンは生きながらにしてこの世の地獄を見てしまったわけだ。ゴシュウショウサマ。苦あれば楽あり―

きっと、いや絶対この映画ヒット間違いなし、とは周囲の話】

この頃、新橋のスナック「なでしこ」の常連客だった石倉三郎さんから新聞記事を見たと電話をもらいました。

「君ちゃん、ついにやったな!おめでとう。俺も負けずに頑張るからよ」「おう、お互いに頑張ろうぜ」と私も言いました。

彼は、その後、映画やテレビにマルチな才能を発揮して活躍している根性の男です。

私は完成した映画『八甲田山』を東洋現像所(現在のイマジカ)の試写室で観たんですが、撮影で一番多く時間を費やした雪中行軍のシ-ンでは、顔が映っていると思われるほとんどのカットが露出不足により顔が真っ黒で、判別不能なのが残念でした。

それと、唯一私のセリフがあったシ-ン80の大隊本部の雪濠で飯を炊く場面が丸々無かったのがショックでした。

ふんどし男が狂い死ぬシ-ンは、私の想像以上に印象的に編集されていたんで驚きました。

特に森谷監督がこだわっていた、狂った眼をした表情で、雪溜まりから顔を出す私のカットがストップモ-ションになっていたんで、多くの観客の脳裏に深く刻まれたんだと思います。

もし、このシ-ンの撮影を森谷監督に売り込んでいなかったら、毎度お馴染みの、どこに映っているのかも判らない私の他の出演作と同様になっていた事でしょう。

☆追記☆

映画『八甲田山』が公開されてから40年以上経った2018年9月4日に、100歳で亡くなられた橋本忍先生を追悼し、4Kデジタルリマスタ-版の特別上映会に参加してきました。

TOHOシネマズ日比谷の大画面で久しぶりに観た映画『八甲田山』は、撮影監督の木村大作氏や東京現像所(TOGEN)スタッフの尽力により見事に蘇っていて、嘘のように見やすく露出補正がされていました。

青森第五連隊雪中行軍隊の炊事係として、橇隊を先導して歩いていた自分自身の勇姿を大画面に発見したときには、嬉しさのあまり思わず画面を指さしてしまった程です。

腰まで雪に埋まりながら必死にラッセルした雪中行軍の撮影の苦労が、

40年かけてようやく報われた気がします。

ふんどし男が狂い死ぬシ-ンも当時体験した命を賭けた苛酷な撮影を懐かしく思い出しました。

あんな撮影は、今では到底できないことでしょう!

若い頃のエネルギ-は偉大ですね。

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