原田君事と映画『八甲田山』 (12)

映画『八甲田山』の完成記念の打ち上げパ-ティが森谷司郎監督、脚本の橋本忍先生、主演の高倉健さん、北大路欣也さんなどの豪華俳優人が出席して六本木の某レストランで開かれ、私も末席に加えていただきました。

司会は東野英心さんで、森谷監督や橋本先生を始め、名だたる出演者の方々にマイクを向けてスピ-チをお願いしたんですが、英心さんはパ-ティを盛り上げるために端役の私にまで「原田さん、一言お願いします」とマイクを向けてきたんで、えらく恐縮してしまいました。

パ-ティに参加された皆さんに、ふんどし男が狂い死ぬシ-ンを褒めていただいてとても嬉しかったです。

特に橋本先生には「僕の書いた場面が、君の必死の演技のおかげで何倍にも魅力的になった」と言っていただき、後日、先生が映人社から出版された「映画『八甲田山』の世界」という署名本を頂戴しました。

25歳で芸能界に入ってから18年間。

数多くの作品に出演させてもらいましたが、マスコミに取り上げられたのは後にも先にもこれが初めてで、役者・原田君事の存在を認めていただきました。

劇場で発売された『八甲田山』の映画パンフレットにも私の出演シ-ンが紹介されています。

演技というよりは、苛酷な寒さの体験ドキュメントに近いんですが、

これだけ注目されたことは他にはありません。

役者というのは存在感をどうアピ-ルするかが勝負で、売れていない役者は必死なんです。

主演の高倉健さんクラスは、黙ってても周囲から「アップいただきます」と言われて、いくらでも目立つんですが、

私のように売れていない役者は

命まで張らないとなかなか映してもらえません。

少ないギャラではありましたが、先払いで貰った金額とは別に、後日、

ボ-ナスのようなものも貰えたんで、最初に比べて倍にはなりました。

公開から30年以上経った2008年11月に、SMAPの香取信吾さんが司会しているテレビ朝日の人気番組『スマ・ステ-ション』の「昭和を代表する名監督 撮影武勇伝ベスト5」という企画で、撮影が大変だった映画の第2位として映画『八甲田山』が紹介され、森谷司郎監督がこだわった場面がふたつ紹介されました。

雄大岩木山を背景にして、真っ白な雪原を歩く弘前三十一連隊の撮影で、新雪に余計な足跡をつけないように立ったままの姿勢で、天候が回復して岩木山が見えるのを待ち続けた苛酷な5日間。

そして「あまりの寒さに錯乱した兵士が服をぬぎ棄てて死んでしまうシ-ンで、兵士役を演じた原田君事さんは、寒さで心臓が縮んでいくような感覚を覚えたそう」という小林克也さんのナレ-ションんで私の出演した場面も放送されました。

ちなみに第1位は黒澤明監督の映画『蜘蛛巣城』で、城主の鷲津武時を演じる三船敏郎さんが本物の矢を何本も射かけられるラストが紹介されていました。

人気者の香取信吾さんの番組で紹介されたことで、公開当時に生まれていなかった若い世代の映画ファンも映画『八甲田山』に興味を持ってくれたんではないかと思います。

ひとりでも多くの方に映画『八甲田山』を観てもらい、死ぬ気で撮影した私のシ-ンも含めて楽しんでもらえればありがたいです。

 

私の親父は、映画『八甲田山』の青森ロケが始まる半年前、松竹映画『ひとごろし』の撮影中だった昭和51年7月22日午前9時15分に68歳で亡くなりました。

そのため、親父は、マスコミに取り上げられた私の記事のことも知りませんし、完成した映画『八甲田山』を観てもらうこともできませんでした。

それに親父が亡くなったのは長男が生まれる3ヶ月前で、孫の顔を見せてあげられなかったことが一番の心残りです。

親父の生まれ代わりと思って、長男の名前を親父の名前と同じ「治」にしました。

もう少し長生きしてくれていたら、映画『八甲田山』についてどんな感想が聞けたのか、とても気になります。

褒めてくれたか、それとも、やはり「役者としてはまだまだ」と言われたか」。

想像するしかありませんが、親父のことを考えると残念でなりません。