原田君事と映画『八甲田山』 (8)

裸になって死ぬシ-ン撮影の当日です。

 

午前中は撮影台本のト書きにある「落伍は輸送隊から始まっていたが、」のシ-ンで雪の中を朦朧とした意識で歩き、行軍から除々に遅れていく隊員のカットを撮りました。

撮影は続いていましたが私だけ撮影現場を抜けて酸ヶ湯温泉の旅館に戻って午後の裸になって死ぬシ-ンの準備です。

眼の周りが黒ずんで血の気が引いたメ-クを強調するように直してもらい、素人考えで身体中にワセリンを塗っていれば少しでも雪の冷たさが和らぐのではないかと思いメイク係の人にやって貰ってから軍服を着て、スト-ブの前で迎えの雪上車が来るのを待っていました。

私が準備をしている間にも現場では撮影が続いています。

雪の中へ突然倒れる隊員

木の幹に銃剣を突き刺す隊員

雪の吹き溜まりに飛び込んで泳ぎだす隊員

三島君の演じた「雪の中へ座り込みゲラゲラ笑いだす」狂った隊員

などの撮影をしていたそうです。

「用意ができました」と助監督さんが呼びに来たとき、私に気合いを入れるため、そして少しでも私の身体が温まるようにとブランデ-をグラスに注いで差し出してくれたのが嬉しかったです。

現場に着くと今度は森谷監督から熱いコ-ヒ-の差し入れです。

18年間この仕事をやりましたが、後にも先にも撮影中にこんな気を使ってもらったことはありません。

この時だけです。

今まで撮影現場では怒られるのが当たり前の役者人生でしたので、これだけで、今日はもう死んでもいいと思いました。

 撮影するのは2カットです。

森谷監督と相談した通り、最初のカットは防寒外套と軍服の上着を脱いで、スボンはそのまま、上半身が白のシャツだけになるまでを撮ります。

軍服にはボタンがありますが外すのに時間と手間が掛かるんで、最初から軍服のボタンは外しておきました。

吹雪の中という設定の撮影ですが、スタッフは出来るだけ風が弱まるのを待っていました。

厳冬期のロケ撮影ですから自然の風がもちろん吹きつけます。

強風が吹き始めて大荒れになってしまうと、もう撮影を諦めるしかありませんが、巨大扇風機の風なら撮影スタッフがコントロ-ルすることができます。

撮影現場には5メ-トルくらい先に巨大扇風機が置いてあって、ザルに雪を入れて持っている助監督さんがその横に立っていて、撮影現場を一瞬で吹雪状態に変貌させる訳です。

この巨大扇風機の風の直撃が強烈でした。

まだ軍服を着ているにも関わらず、身体の芯まで凍るような寒さです。

テストで動きを確認したあと、最初のカットの本番です。

カメラの前で防寒外套のフ-ドを外して軍帽と耳当てを一緒に飛ばすと剥き出しになった耳がすぐに痛くなってきて脳内にまで冷気が襲ってきます。

必死の形相をしながら外套を脱ぎ棄てて、肩章にある数字の5が鮮やかな第五連隊の上着をマフラ-と一緒に脱いだところで一発OKになりました。

 

 2カット目はいよいよ裸になって狂い死ぬ撮影です。

 

撮影現場に取材に来ていた青森新聞の記者が書いていましたが、あの日の八甲田山中の気温は零下15度以下だったそうです。

地元の山岳会の人が心配して「裸になっての撮影は、せいぜい5分程度にしておかないと本当に危険」と言ってくれていました。

撮影現場の横には、ヒ-タ-のついた雪上車が待機しているんで、最悪その中へ逃げ込むことはできますが、監督のOKが出るまで意地でもそんなことはしたくありません。

森谷監督が「テストは軍服を着けたままでやりましょう」と言われましたが、私としては裸での寒さがどんな感じなのか知りたくて「本番と同じようにやらせてください」とお願いしました。

雪上車に乗り込んでシャツを脱いで上半身裸になりました。

指先が凍えて動かなくなるとズボンを脱ぐこともできなくなりそうだったこともあり、軍手はそのままつけておくことにしました。

撮影準備ができるまでヒ-タ-の温かさに指をかざしながら毛布にくるまって待つんですが、テストが始まれば想像もつかない極寒冷凍地獄です。

でも決めたのは己(おのれ)、突き進むしかない、やるしかないのです。