原田君事と映画『八甲田山』 (9)

さあ、2カット目です。

毛布のまま雪上車を降りて、撮影現場で助監督さんに毛布を手渡すと巨大扇風機に直撃されて、いきなり体感温度は零下30度にも感じます。もう寒いというようなレベルではありません。

一瞬にして肌は赤黒くなり、ヒリヒリと痛いのです。

凍死した隊員役として私の周囲の雪の中で横になっている奴らも大変ですが、今の私にはそんなことを気にしている余裕などありません。

 森谷監督の「ヨ-イ、スタ-ト!」の声でテストが始まります。

軍服のズボンとパッチ(股引き)を一気に膝下まで下ろして、ふんどし一丁になると、あとは叫びながら発狂した演技です。

泳いでいると云うか宙をもがくように腕を動かしながら、その場を廻るように歩きまわって、雪溜まりの中へ頭から突っ込んでいく流れです。

3人くらいの助監督さんに助け起こされてすぐに毛布で包まれました。

テストの動きを見ていた森谷監督からは「雪に埋もれたあと、もう一度立ち上がってカメラに向かってかっと眼を見開いてくれ」と指示がありました。 

 テストで踏み荒らした雪面に助監督さんたちが急いで新しい雪をかぶせて目立たないようにしてから、いよいよ本番です。

 準備ができるまでほんの1分程度だったと思いますが、私はその場で寒さに耐えて必死で待っていました。

「ヨーイ、スタ-ト!」

テストと同じように発狂して、その場を廻るように歩いていると、突然、雪に足とられて転倒しNGです。

全身に針を刺されたような痛みがあり、身体は既に悲鳴をあげています。

撮影は時間との勝負で、助監督さんも準備の短縮に必死です。

 本番2回目のテイク。

毛布に包まれているスタ-ト前はなんとか森谷監督の指示に近い動きをやろうと思っているんですが、本番は、あまりの寒さにもう芝居をしている意識などなくて、ただ本能で動いていただけだったと思います。

それに雪溜まりが深すぎて、雪に埋もれた後にもう一度立ち上がることなどとてもできず、顔を上げるのが精一杯でした。

耐えられる限界を超えた寒さの中で、埋もれた雪から顔を上げた私の眼は、見開いたというより完全に狂ってしまったような眼をしていたそうです。

一応OKを貰いましたが、その狂ったような眼にこだわった森谷監督は「原田君、もう一回できないか?」と尋ねてきました。

痛みを感じていた肌の感覚が除々になくなって麻痺しているようです。

身体が限界に近づいているのは分りましたが、より狂った眼異常な顔の表情とを撮りたい監督に応えるために、こちらも命がけで臨んでいます。

歯がガタガタ震えてかみ合わなくて、うまく喋れなかったんですが、

「や・・り・ます」となんとか答えました。

雪面ならしの準備の間、毛布で包んでくれている助監督さんに支えられながら、気力だけでカメラの前に立っていたと思います。 

 

テストから数えて4回目。本番3回目のテイク。

「ヨーイ」の声を聞いたとき、震えがピタっと止まったのを今も鮮明に覚えています。

「スタ-ト!」

ズボンを脱いでふんどし一丁になって、発狂して叫びながら

宙をもがくように歩き廻り、頭から雪の中へ突っ込んで、

もう一度顔を上げて、力尽きてがっくり。

 

10秒程度のカットですが、地獄の寒さの中での本番です。

森谷監督の「OK」の声。

 

精神力だけでなんとかやり抜きました。

雪溜まりに埋もれた私は、何分も放って置かれたように感じて怒っていたんですが、助監督さんにあとで訊いてみると実際は、助けに駆けつけるのに30秒もかかっていなかったそうです。

 助監督さんに掘り起こされて、すぐに毛布で包まれて雪上車まで運ばれます。 

途中「大丈夫か?」と何度も訊かれました。

頭はしっかりしていて意識もはっきりあるんですが、息が深く吸い込めなくて呼吸が浅くなり、心臓が締めつけられるように痛いのです。

「心臓の弱い人は、きっとここで死ぬんだろうな」と自分自身の死について、冷静に考えたのを今も覚えています。

皮膚の感覚は痛さを通り越して麻痺しているような感じでした。

雪上車で酸ヶ湯温泉の旅館に戻って、私はボイラ-室に運ばれました。

すぐに温泉に浸かればいいのにと思われるかもしれませんが、私の身体はすでに軽度の凍傷になっていて、いきなり熱い湯に浸かったりすると皮膚の細胞が壊死してめくれてしまい、重度の皮膚炎になる可能性さえあったようです。

 程良い温かさのあるボイラ-室でゆっくりと温めることが凍傷の初期治療には重要で私はここで1時間以上横になっていました。

幸いなことに皮膚の感覚は暫くして蘇ってきたんで、凍傷がひどくなることはありませんでしたが、身体が衰弱していて、その後の2日間は起き上がることもできませんでした。

映画『八甲田山』の青森ロケはまだ撮影が続いていましたが、私はそのまま旅館で静養していました。